桜の名所 大山公園

桜の尾浦八景から鳥海山 大山公園は昭和18年に名付けられ、太平山(たいへいざん)の中にできた公園です。
この太平山は遊歩道が整備されており、約1時間ほどで一周することができます。
大山公園には城跡が残り歴史を感じさせる趣もあります。古の人々は、眺めがよい場所で歌を詠み残しておりました。それらは「尾浦八景」と呼ばれ、8か所それぞれの場所に石碑あり、場所名と歌が紹介されております。その名の通り、足をとめて見渡すその眺望は素晴らしいものです。春には雪解けの月山や鳥海山が勇壮であり、季節時折に変わる山々と庄内平野の眺めは大山公園自慢の眺望です。

戦国大名 武藤氏の居城

大山公園  大山公園は、戦国大名武藤氏の居城であった尾浦城址です。
およそ150年ほど前、大山騒動(※1)に参加した人々に対する幕府からの重い処罰を免れたことを大山村の田中政春が三吉大神に感謝し、尾浦城山に八百余本の桜・桃の木を植えました。これが城山の桜植樹のはじまりとなりました。その後、慶応三年前 庄内藩主酒井忠発が、大庄屋佐藤順太に命じて大山組村々から桜を買上げて植付けさせました。以来城山は多くの人々に親しまれました。
※1 大山騒動
大山の地は天領と呼ばれる土地であったが庄内藩の預り地となったとき、大山の住人たちは引続き天領を望んで一揆を起こした。この騒動の代表は江戸に上って勘定奉行や老中や駕籠訴したが、酒井家でも手を打っていて結局は農民側の敗北に終わり刑罰が下されることになった。

「黒川能」との関わり

「春日神社」の神事能である「黒川能」は国の重要無形民俗文化財に指定され、生活に根ざした貴重な民俗芸能です。その起源は諸説あり、一説に「庄内地方を領有した武藤氏が上洛したおり、京から能役者を連れて帰ったのではないか、その後を慕って下向した能役者がいたことが始まりなのではないか」とあります。
この説に基づき、大山と黒川能には関係性から"大山公園さくらまつり"では黒川能を公演していただいていおりました。
※黒川能公演は、10回を記念し平成24年4月終了いたしました。

大山公園誕生

大山公園

 昭和の初め、酒造家加藤嘉八郎有邦がここに自費をもって公園を造りはじめました。昭和15年に完成し「加嘉山公園」と名付けられました。園内には二ヶ所の展望台、八か所の碑「尾浦八景」があり、それぞれの眺めを楽しむ事ができるとあって各地から人々が訪れるようになりました。
その後昭和18年、公園は古峯神社・三吉神社に寄付され、「大山公園」と名付けられました。公園は桜の名所として有名になり、お花見の頃は大勢の見物客が訪れるようになりました。毎年「大山公園さくらまつり」も開催されています。

大山公園再生

大山公園再生協議会活動

 桜の名所と知られている大山公園も時代の流れで手入れが行き届かず、荒廃してしまいました。
平成20年、大山公園愛護会を解散し、新しく大山公園再生協議会が発足され美しい公園再生を目指した活動をはじめました。

約7.2haの広大な公園を地域住民と200人ほどの地権者の理解と協力を得ながら雑木の伐採、桜の手入れや植栽などの活動を行っております。この活動が山形県より評価され、平成25年10月「環境やまがた大賞」受賞いたしました。

山形県眺望景観資産 登録

山形県眺望景観資産  眺望景観資産とは、地域を代表するような良好な眺めを将来の世代に引き継いでいくために、その眺めを県民共通の資産として県が指定するものです。
大山公園は、平成27年3月17日付けで山形県知事より眺望景観資産の指定通知を頂きました。
この指定は、県内で6例目で庄内地方では鶴岡市羽黒町川代の創造の森に続いて2例目となります。指定の名称は「大山公園~尾浦八景~からの自然と市街地と庄内平野をとりまく山々の眺め」です。
大山公園再生協議会は、昨年度末から「躑躅ヶ丘」の景観確保のため、間伐、園地整備事業を行っています。尾浦八景すべてからの景観確保をめざし、眺望景観資産の指定に恥じぬようこれからも事業を進めて行きます。